四十九日
2017 / 05 / 18 ( Thu )
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早いもので、今日はアラレの四十九日です。
以前韓国ドラマで四十九日っていうドラマを見ました。婚約者と親友に裏切られたショックで交通事故を起こし、亡くなってしまうんだけど(正確には昏睡状態というか植物状態というか)、四十九日間だけは魂が自由に行動できるのです。

それでその間に婚約者と親友が以前から恋人同士だったことや、両親がどれほど自分を愛しているかや、幼なじみの男の子が自分のことをとても愛していたことを知るのです。魂だけだと何かと不便なので、ちょうど恋人を亡くしたショックで生きる希望を失った女性が、夜のコンビニのアルバイトをしていて、昼間だけ彼女の体を借りて、いろいろと行動を起こすのです。結局四十九日が経つと迎えの人が来て、この世を去らなくてはいけないのだけど、体を借りていた女性が、昔生き別れになった実の姉だったことから、母親は大喜びで、1年後には何事もなかったかのように母も幼なじみも笑って楽しそうにしているのが私にはなんだかショックでした。残された人は生きていかなくてはいけないのだから仕方のないことかもしれないけれど、死んだ人に思いを馳せる人が誰もいないかんじが寂しくて私は嫌いなドラマでした。パパはなぜか気に入って、特に曲が好きだと言ってドラマの挿入歌なんかもそらで歌えるくらいなんだけど、私は死んじゃった子がかわいそうで不憫でならなかったです。

ドラマの中では四十九日の間にいろんなことがあって、四十九日って結構長いというイメージだったのだけど、アラレが亡くなってから私はぼーっとして何もしないで時間を過ごしてしまったこともあって、なんだかあっというまだった気がします。1年後には私も笑って過ごしているかもしれないけれど、少なくともアラレのことは自分が死ぬまで決して一日も忘れることはないでしょう。アラレにはいっぱい幸せをもらいました。ありがとうっていう感謝の気持ちでいっぱいです。それと同時に、助けてあげられなくてごめんねっていう気持ちも大きいです。いつか虹の橋のたもとで会ったら、思いっきり抱きしめてあげたいです。アラレもきっと顔中舐め回してくれるはずです。その日を夢見て、これからの日々を送ろうと思います。

暗いことばかり書いちゃいましたが、急にハリーとアラレがいなくなって寂しくてたまりません。もしかしたら次の子をお迎えしちゃうかもしれません。以前は亡くなってすぐに次の子を迎える人の気持ちが理解できませんでした。でも亡くなった子を思う気持ちはみんな一緒なんですね。深く愛していたからその子のことを思ってなかなか次の子を迎えられない人もいれば、深く愛していたからもう次の子は迎えないっていう人もいれば、深く愛していたからこそ、その子と過ごしたような充実した時間を持ちたいと思う人もいるということを、今頃になってやっと気づきました。
でも当初言ってたみたいな里親になるのは難しそうです。お迎えしたい子がいても、住まいが関東地方に限られてしまっていたりすることが多くて、こんな田舎でもOKっていう団体はほとんどないのです。条件も結構厳しくて、もちろん不幸な生活を送って来た子たちだから、もう2度と辛い目に遭わせてはいけないのはもちろんですが、申し込みさえできないのは寂しい思いです。ならば自分でそういう団体のボランティアに参加したいと思っても、うちのほうではブリーダーがほとんどいないので、ブリーダーの崩壊もないし、あっても猫ちゃん保護の団体だけでした。実は私、猫アレルギーなんですよね、体も心も。^_^;最初に暮らした心優しい臆病なワンコが老犬になってから、引っ越しした先でお散歩に出かけたら、縄張りだったのか猫の団体に襲われて、必死に抱きしめたけど私を引っ掻いてワンコを引きずり下ろして、今度はワンコを襲って、私もワンコも何の抵抗もできずに体中傷だらけになったことがあって、それ以来トラウマで猫を見るだけで恐ろしいし、くしゃみがでます。アレルギーって精神的なものからくることもあるんだって初めて知りました。

話が脱線しちゃいましたが、ここ15年あまりワンコと毎日暮らしてきたし、1年のブランクも入れると30年以上ワンコと暮らしてきたので、ワンコのいない生活がとても味気なく寂しくてたまりません。
でも今日はアラレの四十九日なので、余計なことは考えないでアラレのことだけ考えて過ごそうと思います。
アラレちゃん、あとでアラレちゃんの好物をいっぱいお供えするから待っててね。
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