四十九日
2016 / 06 / 15 ( Wed )
6月になって、突然昔のことをだらだらと書き始めたのを見て、悲しすぎて頭おかしくなった?とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが(実際ちょっとおかしくなってますが・・・TT)、これは一種の心のリハビリとでもいいましょうか、当時のことを振り返ることで(こっそり泣いちゃったりもしてますが)、少しずつ前進しようとする私なりの方法です。それに加えて、当時借りていた無料の日記(ここも無料ですが^^;)がある日突然サーバのダウンか何かで、すべて消えてしまったのです。(@_@;)なので、ブログを始める頃までのことを、写真を見ながら思い出して書いてみようかな〜と思ったのもあるんです。いつまで続くかはわかりませんが・・・

ところで、今日はハリーの四十九日です。私にとっては、あっというまの日々でした。それだけまだこの現実を受け入れられていないのかもしれません。ついまだハリーは家にいるような気がしてしまって、いないということに慣れることができません。今まで何度か夢に出てきましたが、いつもニコニコ笑顔で向こうから走ってきて私の胸に飛び込んで来るんです。とても幸せな気持ちでハリーをしっかり受け止めて・・・
ふと目が覚めると、それが夢だったことを思い知らされて、夜中にわーわー泣いてしまったことが何度もありました。もう一度会いたい。ハリーを抱きしめたい。こんなに執着したら、ハリーが安心して向こうに行けないかもしれないと思っても、なかなか思いを断つことができません。たぶん、どうしてもっと早く病気に気づいてあげられなかったのかという後悔と、もっと何かしてあげられたのではないかという後悔で自分を責め続けているからかもしれません。そんなことしてもハリーは喜ばないのはわかっているのだけど・・・
でもゆうべ、最近よくおじゃましているブロガーさんの記事で、お母様を亡くされたとき、住職さんが「たくさん泣いてあげてください。あなたの涙が亡くなったお母さんの体に降り注ぎ、お母さんの、病気で蝕まれた体を浄化し、元気な姿になって天国に行けるんですよ」と話して下さったそうです。それを読んで、泣いてもいいんだ〜とちょっとほっとしました。その方も最近愛犬を亡くされて、親のときよりも悲しいと言っていましたが、私も親のときにここまで悲しむだろうか(ふたりとも健在です)と思うくらいの悲しみの中にあります。親には物心両面でいろいろ尽くしてきたけれど、ハリーにはまだまだやってあげたかったことがいっぱいあったので、その心残りが大きいのだと思います。
百か日は卒哭忌(そっこくき)とも呼ばれ、泣くことをやめて、悲しみに区切りを付ける日だそうですね。その日までには今よりももう少し立ち直っていたいと思います。

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これまでお花を送って下さった皆さん、ありがとうございました。
おかげで、ハリーが亡くなったときと、四十九日のためにきのうお花屋さんに行っただけで、あとは一度もお花屋さんに行くことなく、今日までずっとハリーのそばにお花を絶やすことなく過ごすことができました。
アレンジはハリーが残して行ってくれたルルドのおかげで、オゾン水を作ることができるので、毎日お水を替えて2週間くらいは楽しませてもらっています。お水を替えたり、切り戻ししたりする時間は、私にとってハリーとの対話の時間で、そんなことでもないと、本当に何もしないでぼーっと1日過ごしてしまいそうなので、本当にありがたかったです。あらためてこの場を借りてお礼申し上げます。
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